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種蒔きビト

2020年10月10日

記事|
髙木 恭子

増木工務店の種蒔きビト|ep01

増木工務店の種蒔きビト|ep01

兵庫県生まれ。

1997年 神戸松蔭女子学院短期大学 住居インテリアデザインコース卒業。

現在、埼玉県在住。2児の母。



19歳の決心。

1995年1月17日。兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として起こった阪神淡路大震災で当時私が暮らしていた自宅は全壊し、住み慣れた神戸の街も平衡感覚を失うくらい建物が崩れている光景を目の当たりにし、大きなショックを受けたことは今でも覚えています。



私が6歳から18歳までの12年間暮らした住まいは昭和2年に建築された古い家で、夏は涼しいけれど冬はとても寒い。今では珍しく、家族の病気が治るようにと、当時お世話してくれていた看護師さんが風通しと日当たりの良い間取りを考え、曽祖父が柱1本から吟味して建てた住まいでした。


大震災の経験と当時暮らしていたこの家が、住まいづくりに関わる仕事に就くことを決めた原点でした。




憧れの職場と、気づき。

そんな夢を胸に就職活動に励みましたが、これといって取り柄もない短大生にとってやりたい仕事に就くことは簡単ではありませんでした。就職氷河期だったこともあり住居系の学部でも住宅会社に就職できるのはほんの一部でしたが、自宅を建て替える際にお世話になった憧れのハウスメーカーに就職するため、面接練習で受けた会社は50社以上。会社説明会には開始2時間前から会場に並び、会場では最前列の中央に座ってアピールをしたり…できる事は全てやりました。その結果一番入りたかった会社に入社することができ、オフィスやモデルハウス、働く人すべてが新鮮でキラキラ輝いて見えました。

通勤時間は片道1.5時間、毎日夜遅くまで働いて。そして、ある時ふと気がつきました。

住まいづくりの会社に就職したのに、一度もお客様に会ったことがなく、毎日パソコンばかり見ていた自分がいました。ハウスメーカーは、細かいルールと細分化された業務により効率と精度を保つという方針のため、家を建てる工程の一部分に関わっていることには間違いないのですが、それ以上の事がまったく分からない自分がいて、6年働いた憧れだった会社を去ることにしました。




工務店で働く楽しさ。

その後、インテリア業界等の経験を経て、増木工務店 (当時:増木工業株式会社)に就職したのは次男を出産した後、2011年。


入社時は設計の仕事に就き、現在は企画営業で、初回接客•提案•建築•引渡しまで一貫してお客様に関わるだけでなく、お引渡し後も訪問させていただきます。住み心地や暮らしの変化について住まい手さんとお話できることが嬉しいです。

増木工務店のモノづくりや、住まい手さんの暮らしに影響を受けて私も自宅の床をDIYで無垢材に張替えてみたり、ベランダに大きなプランターをつくって野菜を育ててみたりと、自分自身の暮らしも楽しめるようになりました。



増木工務店での仕事はハウスメーカーとは異なり、細かいマニュアルがある訳ではないので、とにかく自分の頭で考える時間が増えました。必死に考えてお客様に提案したり、住まいを形にしたりしても、相手に届かないことも沢山あり落ち込む日もありますが、それ以上に考えたものがお客様に届いた時の喜びはひとしおです。

マンションのリノベーション工事に携わった時のことです。マンションの一室を解体し、住まいづくりを始める現場に提案段階から携わらせていただきました。約3ヶ月の工事でしたが、増木工務店として誇れるようなモノづくりとは何か、お客様が希望している以上の住まいをつくるためにはどうしたら良いか、ひらすら考えました。楽しいけれど、苦しい3ヶ月でした。完成した時、住まい手さんが「増木さんって、すごいね」という言葉をかけてくださり、苦しかった3ヶ月が一瞬にして達成感と喜びに変わりました。こういう経験の積み重ねが何より大切で、次の住まいづくりの原動力になるのだと改めて感じた出来事でした。





44歳、働いて今思うこと。

学生の頃に思い描いた40代とは少し違う生き方をしていますが、やりたかった仕事に就けたと思っています。ゼロから考えて形にすることは決して簡単ではありませんが「想いのある所には必ず道がある」という言葉を大切に、20年後、30年後もモノづくりに関わっていきたいと思います。



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